いい加減にしろ!労働者からの搾取!

 最近、労働者いじめとも取れる政策がどんどん進行している。

 大企業は過去最高の利益を上げているのに全くその恩恵に与れない労働者。にも拘らず企業と株式投資で儲ける富裕層に対して更に、優遇減税を実施しようとする安倍政権。

 更には究極の労働者いじめであるホワイトカラー・エグゼンプションに関する法案を厚生労働省が詰めている。労働者は現在でも残業代不払い過労死といった過酷な条件下で働いており、一層の保護が必要であるはずなのに、日本経団連の提案に従って、言われるままに労働者いじめの政策を実行に移そうとしている。本来、労働者を守る存在であるべき厚生労働省がこのような施策を財界の言われるままに実行しようとする背景には、現在の政府が資本家の意向を代弁することしか考えていないことがある。

 要するに政府も大企業も労働者を徹底的に絞り上げるだけ絞り上げて、金儲けの為に労働者を使い捨てにすることしか考えていないのである。要するに米国を見習って市場原理主義によって、勝ち組だけを生き残らせる政策である。新しい階層化社会にしようとする企てである。

 安倍首相は“美しい日本”とか言っているが、やっていることは既に結果が見えている米国追随の物まね政治である。これで本当に愛国心を持っているとは思えない。教育基本法が改正された。愛国心が通信簿で評価されたら、小泉も安倍も堺屋も5段階評価の1である。

 小渕元首相と一緒になって日本を借金地獄の破綻状態に導いた堺屋太一なんかは、何ら責任を感じることも無く、のうのうと生きているが、日本にまともな経済評論家はいないのかと思っていた。たまたま、本屋で見付けた内橋克人の「もうひとつの日本は可能だ」(文春文庫)を読んだ。自分が今まで訴えてきたことが、歯切れ良く、書いてある。内田克人の著作を更に読んでいる。朝日文庫の「「人間復興」の経済を目指して」城山三郎、内田克人著「<節度の経済学>の時代(階層化社会に抗して)」である。

 城山三郎も内田克人も一人ひとりの人間を大切にしたいと言う立場に立脚して、経済を考えている。大企業や金持ちの優遇ばかり考える堺屋や安倍とは、立脚点が根本的に異なる。

 最近思うが、本当に昔の商店街が廃れた。昔は時計屋さんや仕立屋さんや電気屋さんがあった。八百屋に魚屋。ほとんど無くなった。変わりに出てきたのが、大型ショッピングセンターである。本当に趣のある買い物が出来なくなった。既製品の押し付け商売ばかりである。個人商店が廃れ、職業選択の自由は減少した。これも弱い小人商店潰しと大資本擁護の政策のせいである。こんなことばかりして、日本の伝統と文化は本当に守れると思っているのか。世の中、本当に大型店とチェーン店ばかりである。多様性は減少し、企画化した商品ばかりである。良く日本ほど食品の豊富な世界は無いと言うが、本当か。冷凍食品や加工食品ばかりで本当の食材は減少している。寂しい世の中になった。

 こんなおかしな世の中にしておきながら、一方で改正教育基本法では「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養う」だと。何をおかしなことを言ってるんだ。言うこととやってることが分裂している。地方を潰し、伝統と文化を破壊する施策を長年実行しておきながら、今更何を言うか。

 私は以前、小泉が進めた競争選別の政策を非難して、“棄民”と言う表現をしたが、内橋克人氏は「もうひとつの日本は可能だ」の中で「人間排除の経済」と言う表現をしている。“棄民”にしろ「人間排除の経済」にしろ、その本質は、労働者を金儲けの道具としか考えない米国流の考え方にあることを強く認識しなければならない。

(2006年12月16日記)

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